もうひとりの姉のこと

重めの長文になりますのでお時間のある方どうぞ〜

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そのポジフィルムは半世紀も前のものだったのですが、
とても色鮮やかで、昨日撮った写真のように見えました。

ポジフィルムってわかりますか?
フィルムの時代のカメラでは一般的にはネガフィルムが使われ、
色が反転していますが、ポジフィルム見たままの色がそのまま
のったフィルムで、多くはスライドや印刷に使われたようです。

映っていたのは、大きなお人形やおもちゃに囲まれた
フリフリのお洋服を着た、かわいいかわいい赤ちゃん。

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私はちょっと年の離れた兄と姉のいる三人兄弟の末っ子で、
でも実は、兄の上に亡くなった姉がいたというのを
聞いたのはいつのことだったか…
たぶん中学生くらいの…お墓参りの時だったかもしれません。
死産だったんだって、と、姉から聞きました。

正直、よく実感がわかず、悲しい気持ちにもならず、
たぶんその人が生きていたなら、うちは3人くらいしか子どもを
作らなかったろうから、私は生まれなかっただろうな…
なんて思いながらその後も過ごしていました。

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その後何年も経ち、私も結婚をして、子どもを産むときに
母から初めて、その姉の話を聞きました。
「死産でもなかったのよ。
何度か流産した後に初めて順調に育ってね、でも、クリスマス休暇で
担当のお医者さんがいなくて…お産に時間がかかって、
生まれてすぐ死んじゃったのよね…」

ちなみに、
私は18くらいまで、兄ばっかりかわいがられている気がして
ちょっとだけ不満を抱いてたのですが、
この姉の後生まれた兄は
妊娠中から、たぶん生まれないだろうと医者にいわれ、
なんとか生まれてからも、体の弱い子どもでした。
…そりゃあ、大事大事にかわいがるよなあ!
ただでさえ男の子一人だし、長男だし!
と、このときすっかり腑に落ちました。

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それからまた数年。
久しぶりに年末を実家で過ごしたときに、
本当に久しぶりに仏壇の掃除をしたのです。
いつもはそこまでしないのですが、
ご位牌の入れ物をきれいにしようと開けると、
小さく折り畳まれ茶色く変色した父の会社の茶封筒が出て来て、
その姉の名前が書いてありました。
ドキドキしながら開けると
鮮やかなポジフィルムが2枚、出て来たのでした。

見知らぬ 現実でなかった姉が
そのとき初めて現実のものとして、私の目の前に現れました。

しかも、それはなんともかわいい赤ちゃん!
知らなければ 眠っているとしか思えないような表情でした…

母に、写真があったんだね、と言うと、びっくりして
「ぜんぜん知らなかった…」と。

たぶん父はこの写真を撮って、
誰にも言わず、このご位牌入れにいれたのでしょう。
父もずいぶん前に他界したので、確かめるすべはありませんが…

「はじめて見た…」
ポジを陽の光にかざして見ながら、母が詳しい話をしてくれました。

2.3度流産を経験した若い母が、初めて順調に妊娠をし
祖父は、初孫に何かあっては大変と、
わざわざ大きな病院に母をお願いしました。
母の実父である祖父は、産婦人科の開業医だったのです。

そしてクリスマス…
クリスマス休暇で担当医が休みの中、
難しいお産が重なって
母はずいぶん…おそらく一番後回しになったそうです。
あまりに長く時間がかかったため、酸欠で生まれて来た姉は、
生まれてすぐに亡くなり
母はもちろん入院していたので
お葬式などは父にまかせたままで…

そのあとしばらくはお人形を抱いて過ごしていたそうです

同時期の出産を楽しみにしていた
お友達は 母乳がとまってしまったそうです

祖父も
祖母も
父も
もちろん 母も

どんな気持ちだったか…

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もう50年も前の話です。

プリントの写真ならば、セピア色に色あせて、時の流れを感じたでしょう。

でもポジは、鮮やかなままでした。

50年も前の写真があんなにも鮮明に残っているなんて……!

胸を突かれたまま

涙が止まりませんでした。


先日
「生まれる」
という映画を見て感動しましたが、
初めて知った我が家の「生まれる」の物語。


私の中で、長年実感を持たなかった姉が、
どうして半世紀を経て、私の心にやって来たのか…
ほんとうのところはよくわかりませんが
姉が少しでも忘れてほしくない、というのならば
こうして どこかに 書いておかなければ…と記した次第です。


日々、忘れがちですが、
「生まれる」
それだけで奇跡だということを
思い出せますように…

おわり